相手にモヤっとした時、

うちに帰っても、そのことが頭の片隅に残っている。

大したことじゃないし、そういうこともあるよね、って

軽やかに受け流せたらいいのに。

相手のちょっとした表情や、空気感の変化。

それが、なぜか胸に引っかかっている。

誰かに相談したら、きっとこう言われる。

「そんなの気にしなくていいよ」って。

それくらいの、ちいさなこと。

でも、その”ちいさなこと”を処理しきれずに、

「気にしすぎな私がいけないのかな。」

「私が未熟なのかな。」と、自分に矢を向けてしまう。

これって、

自己肯定感が低いせいで、自分を責めてしまっているの?

そう思ってた。

でももしかしたら、

私は”感覚を大きく感じ取る特性”を持っているだけなのかもしれない。

だから、誰かとのほんの少しのズレや違和感を

自分の中では大きく感じてしまう。

その重さに耐えられなくて、

「私が悪いのかも」と、矢印を内側に向けることで、

なんとか気持ちを処理してきた。

だけどそれは、未熟なんかじゃない。

まだ、自分の”感じる力”の取り扱い方を知らなかっただけ。

それは、相手を大切に思う気持ちから生まれた、

あなたのやさしさだった。

また誰かに「あれ?」って思った時、

どうかその気持ちを否定しないで。

「今、あれ?って思ったことは、私の感覚。私の世界の正解。」

そうやって、静かに心の中で呟く。

自分の感覚も、相手の感覚も、そのまま。

それが、あなたらしい”思いやり”なんだよね。