あなたは自覚できていないが、心の深い部分で自分のことが嫌いだとしよう。
すると、相手から好意を向けられていても、恋人であっても、相手からの「好き」を感じることができない。
なぜなら、自分のこころが「じぶん、自分のことが嫌い。」だから、外の世界から「あなたが好き」と言われても自分の心が受け入れられない。自分の心が相手の「好き」を疑い、信じられない!という。
だから好きの証拠をめちゃくちゃに求めたり、愛されていない証拠集めをする。
相手にもっとこうしてくれないと愛されてるって感じない!もっと!もっと!
とクレクレさんになってないだろうか。
または、ちょっと相手が自分に気持ちに寄り添ってないと感じると、
ほらね、やっぱりね、私のことそんな好きじゃないじゃん。
とイジイジさんになってないだろうか。
これは、クレクレイジイジさんも辛いが、相手もかなりきつい。好きを信用してよ(汗)である。
変わるべきは、相手の愛情表現の仕方ではなく、自分の心の受け取り方である。
私はありのままの私でいいんだという体験を積み重ねていくことである。