「もう、大人だから」

「本人の意思を尊重したいから」

そんな聞こえのいい言葉で、「わたしは見守ってるんだ」と

誤魔化す。

これが健全。

それが私なりの相手への思いやり。

とでも思っているのだろうか。

本当は自分にも相手にも向き合うのが怖いだけ。

それがバレバレだ。

”見守る”って、そんな簡単なスタンスじゃない。

「わたしはあなたにちゃんと関心を持っているよ」

「必要なら、絶対に力になる、その準備ができているよ」

そんな風に言える関係。

そして、その言葉が相手の心に届く関係。

自分の人生にちゃんと向き合い、能動的に生きていること。

そのうえで、相手のタイミングを尊重して、助けを求められた時に初めて、

迷わず手を差し伸べられる。

これらが揃って、初めて”見守るスタンス”をとれる。

それがないのに。

今までその関係性を築いてこれなかったくせに。

自分の人生すらも、真剣に生きてないくせに。

見守る?

違う。

余裕がないから放置してるんだ。

怖くて、逃げてるんだ。

そんな、

自分の人生からも逃げているような人に

「見守ってるよ」なんて言われても、

勇気なんて出ないし、力も湧いてこないから。

言葉って、その人のエネルギーが宿る。

真剣に生きる人の”言葉のエネルギー”は

受け取る人の、静かな力になる。

自分と誠実に向き合った人だけが、相手と心から繋がることができる。

自分との関係は、どうだろうか。

私はそこから、始める。