こうしなきゃだめだ。
このくらい、やらなきゃだめだ。
そうやって、自分の気持ちを押し込めて頑張っていた過去がある。
その時のことを思い出したり、
話題になるだけで、
「労ってよ」
「あの行動、謝ってよ」
そんな”労ってモード”の私が出てくる。
本当は、あの時休みたかった。
誰かに任せたかった。
でも、できなかった。
自分がやるしかないと思っていた。
だから、せめて”ありがとう”がほしかった。
ちゃんと私の苦労を、必死さを、
見て、受け止めて、労いの言葉にしてほしかった。
いつ、この気持ちに気づいてくれるの?
そんな思いがドロドロと渦をまき、
胸の奥がズキッと、喉の奥がグッと絞まる。
初めは、
「自分の気持ちを言葉にしないから伝わらないんだ。」
そう思って、
「私はこれが辛い!」
「こんな頑張ってるんだから、労って!」
そう言葉にしていた。
でも、大抵返ってくるのは、
私が求めている温度とは違って。
「そうだったんだ、ごめんね」
だいたい、それくらい。
長年溜め込んできた未回収の気持ちが、ますます膨らんでいった。
自分で決めてやったことは、
労いを求めない。
でも、”やらなきゃ”という義務感でやったことは、
労ってほしい。
やりたくないこと、
できないこと、
辛いこと。
そんなことまでも全て、
「自分がやらなきゃ」と押し込めていたら、
本当は好きでやっていたことまで、
いつの間にか”犠牲の対象”になってしまう。
相手から見たら、
やっている=大丈夫 に見える。
だからこそ、
やりたくないこと、できないことは、
やらなきゃで押し込めてはいけない。
でも、過去に押し込めてしまった気持ちは、
どうしても残ってしまう。
だから私は、
労ってモードが発動したら、
まず、気づいてあげる。
そして、心の中で、静かに言葉にするのだ。
「あの時頑張ってたもんね、つらかったよね」
そして、
体のどこかをそっとふれたり、
ゆっくりお茶を飲んだり。
身体の心地よさを通して労う。
すると、
過去のギスギスした私が、ホッと緩んで、
「これからは、もう無理しないでよね!」
なんて、今の私に声をかけてくるのだ。
