なぜ、愛されているか不安になったり、変に尽くし過ぎてしまうのだろう?

「好かれている」というのは、

”相手”は、”欠点も含めたありのままの自分”に満足している」ということ。

だから、自分が相手に何かしてあげなきゃとなる必要はない。

ありのまま、そのまま、でいいのだ。

それなのに、

相手は本当に自分を好きなのだろうか、とか、

相手の利益になりそうなことを提供し続けないと、相手の好意はなくなってしまう、などと

「好かれている」ことに安心できない。

その場合、あなたが見るべきところは

「自分が自分を好きじゃない」ところである。

あなたは心で

「私は自分が嫌い」と思っているから、

自分の心が思うことと違う事「相手が私を好き」を受け入れられない。

相手からの好きが心に入ってこられない。

相手からの好意を感じ切ることができない。

なぜそうなるか。

それは、幼少期から、

「相手の思いに沿うために自分の気持ちを犠牲にした分だけ褒められる、好かれる」

というような成功体験を積んできてしまったから。

じゃあどうすればいいか、それは、

自分は心の奥では自分を好きじゃないのかもしれない、

自分は愛されるというところに関してズレた成功体験を積んできてしまったのかもしれない、

という前提を持って、

目の前にいる相手を見る。

そして、

相手を信頼してありのままの自分を曝け出してみる。

あれ、こんな自分も変わらず愛される。

しかもありのままだから自分の心もラクだな。

そんな新しく素晴らしい成功体験を積み重ねていくと、

心から、

「私は私のままで良い」

「相手はありのままの私を好き」

を感じられるようになっている。