嫌なことが起きた時、

落ち込むようなことに直面した時、

自分になんという言葉をかけるだろう?

何やってんのーーー

はぁーまたなの私!

落ち込んでる場合じゃない!

なんでそうなったか考えて!

そんな厳しい言葉をかけてばかりいた。

自分が出来損ないに感じられたり、

自分だけが、こんなことになっているようで、

凄く落ち込んだり、

悲しくなったりする。

私のせいじゃない、あの人のせいだって、

誰かのせいにしたくもなる。

優秀にみえるあの人と自分を比べて、

あの人はいいな

私もあんな風だったらな

そんなことを一通り考えたら、

落ち込む気持ちを無理やり奮い立たせて、

次は絶対同じことを繰り返さない

と誓うのだ。

そして、

自分のことを好きじゃないままに、

また近いうちに同じようなことをやらかし、

同じようなことを思うはめになる。

でも、ある時から、

そういうことがある度に、

あの人はいいな、って他人を見るのではなく、

自分を見るようになった。

なんで自分はこうなんだろう?

なんで自分はこうしたんだろう?

なんで自分はこう考えるんだろう?

自分に質問をするのだ。

この質問は、

今後ミスをしないための反省・自己分析

のためじゃなかった。

”自分を知るため”

”自分の性質を心から好きになるため”

だった。

それで?それだけ?

最初はそう思ってた。

それが徐々に、

自分を知って、

自分の性質を愛せるようになって、

どうしても自分の気質を活かしたくなった。

大切な自分を、

輝けそうな場所に置いてあげたくなった。

初めは、

私は不器用なのかな…とか、

私は鈍臭いんだよな…とか、

そんなことしか思いつかないかもしれない。

でも、ちゃんと自分を知りたいと思えば、

頭と心が勝手に答えを探してくれるようになる。

時間はかかるけど。

そうしてしまう自分には、

理由がある。

私の何かの性質が、気質が、

そうさせている。

いい意味でこんなに開き直れるようになったのと、

自分のことがすっごく大切になったのは、

どっちが先だったかな。

そのくらい、

少しづつ、少しずつ、

変わっていけたのだ。

誰にでも、

あの時、なんで、私だけ?

そんな小さな過去のモヤモヤってあるだろう。

そんな些細な、

でもずっと心に残ってたことにも、

自分を知るたねが隠されているのかもしれない。