私が一番詰んでいた時。

一言でいうと、感覚が麻痺していた。

逆にいうと、

麻痺していたから、どこかで詰むことが確定していた。

じわじわと、中学、高校、大学と進学するたびに、

何が辛いと口にできたわけではなかったけれど、

何か違う、何かおかしい。

いつも嫌だった。

社会人になって、

成績や、いつも隣にいる友達や家族の目がなくなり、

自分を律するものがなくなった。

そしたら、

自由なのに、自由がわからなくて。

楽しくないのに、”楽しい”って感じようとしていて。

苦しいのに、”苦しくない”って言い聞かせて。

その時は必死なだけだったけど、

自分の感情をちゃんと感じて、

自分の感覚を大切にしていたら、

あんなに苦しいことはなかっただろう。

その時だって、自分を大切にするって言葉をよく見かけていた。

『悪口を言われたら、こう捉えよう』

みたいな本をひたすら読んで、

泣きながらノートに書いて、

そうだ、これは成長なんだとか思い込ませたり。

大切にするやり方が違ったのだ。

今思えばその頃そばにいた仲間たちはみんな感覚が死んでいた。

辛いのに辛いって口に出せないし、

これが好きとかがない者の集まり。

とりあえず集まっては誰かの噂話と

誰かの恋バナと、誰かの悪口。

いつも同じような話。

楽しくないけど、それすらも感じられてなかった。

今の私が、あの時の私と変われるなら、

きっとこうする。

まず、お水を2リットルペットボトルから直飲みしない。

お気に入りのコップを用意して、

注いで飲む。

ご飯はお腹いっぱいになったらやめる。

勿体無いからって食べ切らない。

悪口を言ってくる外野には、ちゃんとそっけなくする。

気に入られようと自分から話しかけない。

コスパ・タイパ、対処法、基準、常識…

これらをノートに書く前に、

自分の気持ち、自分の感情をちゃんと知るために書き出す。

そんな感じ。

自分を大切にするって、こういうところからだった。

色々すっ飛ばして、

いきなり外野に言いたいこと言うとか、

やりたくないことはやめるとか、

無理なのだ。

あの時の私は自由に未熟で、

新しい世界に戸惑って、

ただ毎日に必死だっただけ。

出来損ないじゃないし、おばかでもない。

あの時、私がよく外野から言われていた、一番辛かったワンフレーズがあった。

ずっと頭にこびりついていたはずだったのに、

書きたいと思った今、忘れていることに気づいた。

うん、私は成長している。

でもそれは、あの時の辛い時期があったからではない。

私が自分の感情に向き合い続けたからだ。