私は、空気を読み過ぎて、窒息しそうな世界にいた。

いつだって人に気を遣う

それがマナーだと思っていた。

それが世界だと思っていた。

でも、その世界に疲れていた。

本当に大丈夫?

本当にいいの?

譲ってくれてない??

そうやってずっとあるかもわからない裏を読もうとして、

気を張って、

疲れていた。

そんな時、

目の前に、あまりにも気にしない人が現れた。


私だったら色々と考えてしまう、

そんな場面を華麗に通り過ぎ、

私だったら含ませて発言することを、

他意なくさらっと言葉を発した。

そして、何より、

探ってこない会話が、

とても楽で、

心地よかった。

その人は、それだけで余裕のある人に見えた。

オーラも、軽やかに見えた。

そして、この人の器の広さに惹かれた。

でも、

それは”器の広さ”だったのだろうか?

その人は、ただ何も感じず流しているのか、

何かを感じている上で、流しているのか

考えたことあるだろうか?

表面的にはどちらも同じ、「流している」

だけど、

この二つは日が経つにつれて形が変わっていく。

だけどあの時の私は、

”気にしない人”と一緒にいる時の、

”気を張らなくていい世界”に救われているだけだった。

その人は、

本当に器が広いだろうか?

自分と相手の間にあるズレを認識し、受け入れた上で、

流してくれているのか?

もしくは、

ただ、そこが”見えない人”

なのか?

感情を大切にする私たちにとって、

この2つの差はあまりにも大きい。

だから、ある程度癒されてきたとき、

ふと、こっちを見る瞬間が来る。

それは、

その人が大切にしているところでズレた時、

どう動く人なのか

ということ。

もしかしたら、

余裕のある素敵なその彼は、

自分の主張を譲らないかもしれない。

あなたの意見と、自分の意見、

擦り合わせていこう

と、寄り添ってくれる人かもしれない。

その時、はじめて

その人の”本当の器の広さ”

が見えてくる気がする。