『お金がなくなったとしても、豊かさは消えないし、
お金は働いてつくればいいだけ。』
お金がなくなったらどうしよう?
から、
それだけ。
って思えるようになったのも、
自分の前提が変わったからだと思う。
なんで変わったのかな?と考えてみた。
ーーー
安定しながら、不安でいっぱいだった
昔の私は、
お金がなくなるなんてことになってはいけない
と思っていた。
だって、安定こそが安心だったから。
自分の安心を、”安定していること”
で保っていた。
付き合っている人間関係も、
求めていたのは安定感だった。
大学に行かない人はだめ。
無駄遣いする人はだめ。
いろんなダメのリストがあって、
そのリストは、人を見下してるとかじゃなくて、
それをすると、「不安定になる」。だからだめ。
そういう感覚だった。
例えば、
自分が朝寝坊して、バイトに遅れてしまった時があった。
「寝坊、遅刻する人はだめ」
という安心のリストから外れた私は、すごく焦った。
自分がバイト先に迷惑をかけたから焦った
じゃなく、
”ちゃんとしてない人になりかけてる”
って不安で焦ったんだと思う。
安定こそ安心、だった私は、
お金が安定していることも安心だった。
貯金があり、定期的に積立ができている。
それができてれば、安心なんだ、と信じていた。
でも、どこかで不安だった。
これ、一生こうやって生きていくのかな?みたいな感覚。
何かがおかしい気がしてたけど、
給料を上げれば問題ない。
だからこそ、勉強を頑張り、資格をちゃんと取って、
職場ではうまくやろう。
そういう思考回路で不安を抑えていた。
ある豊かさに出会った。
育児に煮詰まっていた時、
逃げ場を探していた私は、家の近所にあるカフェに行った。
たまには、ご褒美でいいよね…
みたいな感じだった気がする。
今までは、家ではインスタントコーヒーだし、
友達とカフェに行った時は、もったいないなーと思いながら、飲んでいた。
でも、その日は少しでも、底なしの疲れを癒したくて。
温かいフラットホワイトを頼んだ。
1杯、750円。
あの時の滞在時間は、多分30分未満。
綺麗な空間で、いい匂いのする場所で、
自分のためだけの750円に、
すごく愛を感じた。
『自分にお金使うって、なんか豊か…』
多分、言語化なんてできてなかったと思うけど、
そう思ったんだと思う。
定期的に通うようになって、
しだいに、
お花を買ったり、
小さなインテリアを買ったり、
今まで、”無駄”の一言で切り捨ててきたことに
のめり込んだ。
そしたら、
溜め込んでたお金に、バカらしく感じたんだよね。
小さい頃から、お年玉も使わず、
必死に、自分を抑えて、
ただ、「いつかのため」だけに貯めてきたお金。
不安をなくしてくれるわけじゃなかったお金。
ぜーんぶ、使いたい!使っちゃいたい!
今の私、貯金0になったらどう思うんだろ?
って、試したくなった。
お金を自分のために使う実験
正直怖かった。
5000円を超えると、いや、3000円?
お会計で、手汗をかいた。
『でも、このお金、自分のために全部使えたら、
なにか変わる気がする。』
そう思って、
怖いながらも自分のために、自分の心地よさのためだけに、
貯金を崩し始めた。
そしたら、
豊かさって、安心って、
自分の中にしかないんだ
って思うようになっていった。
安心の”置き場”が変わった
お金で物を買えるって、確かに豊かさ。
でも、そもそも、
”その物に対して、どう思っているか?”
それはお金で買えなかった。
自分の心地よさを追求することこそ、豊かさだし、
確かにそのためにはお金も必要。
でも、お金というモノは、働けば、得られる。
働いて、
心地よさを追求して、
自分が自分を豊かにできることに安心して、
大切なのは、ここなんだって。
気づいたら、溜め込んでたお金を使う時もね、
『溜め込んでくれた私、ありがとね〜』
『今、すごい豊かな気持ちを味わってるよ〜』
って、
感謝でいっぱいな感じで、使えるようになってたんだよね。
