いい女を演じるって、疲れる

恋愛において、”いい女”という意味になる言葉がある。

モテる、美しい、あげまん、、、

そんな”いい女”になりたくて、

筋トレや食事制限をがんばり、

追い込んだ賜物である体が

引き立つような服をきて、

姿勢を正して、

口角上げて、

彼の話をニコニコ聞いて、

メイクや髪の崩れが気になって、

会話は正直、上の空。

次いつ空いてる?って聞いてくれないの?

なんて思いながら、

 

笑顔でバイバイして。

一人になって、

やっと深く呼吸ができた。

家に着くと、

さっさと部屋着に着替えて。

出てきた言葉は、

『はぁ〜〜〜疲れた〜〜〜』

だった。

デートは楽しいはずなのに。

それ以上に疲れた〜が上回った。

だって、本当は、

え?それってどういう意味?

って聞きたかったし、

帰り道、心から楽しかったね!

って言いたかった。

本当は、楽しくなかったのだ。

会話だって正直つまんない。

おしゃれも好きだけど、

お腹がポコっと出ないようにご飯も少なめに食べて、

呼吸もなんか、しにくくて。

『でも、おしゃれしないと、好きになってくれないでしょ?』

なぜ、純粋に恋愛を楽しめないの?

ただ、好き、楽しい、嬉しい

こんな気持ちを共有できる恋愛を、

そんなに息苦しいものにしていていいのだろうか?

その疲れは、

自分じゃない自分を演じた疲れ 

だし、

本心じゃない、楽しかったね♪

すらも、

いい自分を演じられた〜

 

という任務完了感だったりしないだろうか?

なぜ、

恋愛に振り回されているんだろう。

なぜ、

楽しめていないんだろう。

「選ばれるための自分でいる限り、ずっと気を張り続けることになる」

恋愛のための自己研磨やテクニシャンになるよりも、

恋愛のみならず、

自分の人生の方向自体をプラスな方へ持っていける

確実な方法があると思っている。

それは、

自分を整えること。

”恋愛をうまくいくようにするために、自分を整える”

ではなく、

”自分を整えたら、なんか恋愛も楽しめるようになった”

この流れでしか、

自分らしい恋愛、

自分に合うパートナー、

心から満たされる関係、

こういうものは手にはいらない。

自己研磨の目的が、

恋愛成就、モテになっていると、

どんなに美しくても、

男性を手玉に取れても、

結局、恋愛やモテることに振り回されている。

振り回されることが目的ならそれでいい。

でも、

相手の一挙手一投足に気持ちが左右されたり、

誰かから愛されなくなったら終わりだと不安になるなら、

一旦、止まった方が良くない?

だって、そんなに心を削って、

好きな男と両思いになったところで、

“幸せ”

なの?

うまくいってる”風”な

だけじゃない?

「手玉にとれて楽しい」じゃなくて、

「モテてるから最高」じゃなくて、

「羨ましがられるから幸せ」でもなくて、

笑顔はだんだんと引きつってきていない?

肩が上がって、呼吸が浅くなっていない?

なんとなく頭が、モヤ〜としていない?

これらにはっきりと大丈夫!と言い切れないあなたは、

何を得たくて、

何に必死になっているんだろう?

いい女を目指すほどに息がしにくくなるならば、一旦「磨く」をやめてみない?

私は、いい女を目指すほど、

どんどん自分が見えなくなっていった。

でも、止まれなかった。

止まって、どうするの?

置いていかれるだけだ

そう思っていたから。

でも、一旦、自分に戻ろう。

恋愛のための、いい女を目指すための、

自分磨きはお休みにして。

こうしなきゃ!ああしなきゃ!

が出てきても、

どうしたいの?

って自分に聞いてあげる。

それすらもできずに、

恋愛だけ上手くいくわけなくない??