『絶対挫けたくない』
って思ってた。
それが私の強みだし、
いつも明るくてポジティブなこと。
強さでもあると思っていた。
悪口を言われても、
仕事で怒られても、
正直落ち込む。 悲しいし、 悔しい。
でも、そんなことをしていても意味がないから、
泣きそうになる気持ちを抑えて、
落ち込むなんて時間の無駄!とか、
今できることだけを考えよう!とかを
必死で思い直した。
落ち込まないの、すごいね
って言われたこともあった。
心の中では、いや、家で泣きたくなるけどね
って思ったけど、
明るく、
そう?
って、何も気にしていない素振りを見せた。
確かに、あの頃の私は強くみえたと思う。
思い悩んでクヨクヨすることもなかったし、
やることをやるしかないって思っていたし、
悪口も失敗も、ぜーんぶ取り込んで、
見返してやる
みたいなど根性精神を離さなかった。
でも、いつも自分が張り詰めている感じはあった。
思い通りにならないとイライラして、
クヨクヨしている人や、ネガティブなことを言う人が嫌いだった。
みんな頑張ってるんだから、
頑張るしかないじゃん
って思っていた。
別に、全てのことに勝ってマウントを取りたいとかじゃない。
そうじゃないけど、負けたくなかった。
挫けたら、そのあとどうすればいいのか
わからなかったのかもしれない。
このやろぉぉぉ!ってやってる方が、ただ前を見続ければいいから
楽だったのかもしれない。
私はそうやって毎日を過ごしていたら、ある時から
目覚めた瞬間涙が出るようになって、
立ち止まるしかなくなった。
立ち止まりたくなかったけど、
立ち止まるしかなくて、泣き続けるしかなくて、
それを抜けた今、思うのが、
”落ち込めるのも、強さだ”
ってこと。
だって、
辛いって認めるのは、結構辛かった。
辛いことになってる自分を認めることが辛かった。
何かに負けてることを認めるしかなくて、
あんなに頑張ってきたのに、くっそー…って思うことしかできなくて、
悲しいのは心の中だけなのに、
それがブワッと大きく自分を包んできて、
飲み込まれ続けるしかないのがしんどかった。
でも、徐々に
頑張ってた私も、今泣いてばかりの私も、
どっちも、よくやってるなって認められるようになって、
ズーンと沈むことが、怖くなくなった。
なぜなら、ちゃんと沈めば、心が凪になるところまで戻れたから。
沈むことを避けていたあの頃は、
沈んだら、どうなるの?って怖かった。
きっと、
どうなるの?できれば避けたい。
なるべく早く浮き上がりたい。
早く次に行きたい。
って思っているうちは、
沈むことを避ける方が安全そうだし、
少し落ち込んでも、沈みきれてなくて、
意味ないな
って思っちゃうんだろう。
「できない私は弱くて、
それでも挫けない私は強い」
ずっとそう思ってやってきた。
でも、
挫ける自分を受け入れるのが怖い
だったんだと思う。
実際に挫けてみた結果、
人生が止まるわけでもなかったし、
みんなに見下されるわけでもなかったし、
負け組になるわけでもなかった。
『苦しい時は、苦しい』
挫けるって、落ち込むって、
それをただ感じる時間なだけだった。
