飲みの席で、
お酒のおかわりや食べ物の追加、
話ながらなのに、
全体に目を配らせて配慮できる人がいた。
いいな、余裕がある感じだし、
仕事できそうなムーヴだよな〜
自分もそうなりたいって、
配慮できる側になりたいって、思った。
同時に、
なんで私はあの人よりできないんだろう
って、ソワソワした。
自分より気遣い上手な人が側にいると、
なんだかソワソワしたし、
自分より気にしていない人といると、
なんだかホッとした。
その頃の私は、
気遣いできる人、
気遣いできない人、
その二つに分けていた。
それで、
「できる側」
に行きたくて、頑張っていた。
じゃあ、気遣いできる人が偉くて、
気遣いできない人をバカにしていた?
いや、違う。
気遣いできる人になりたい気持ちはあったけど、
だからといって、他の人に対して、
この人気遣えないな〜ダメなやつ
なんて、思ってなかった。
でも、ダメなやつとか思ってないけど、
この人気遣いしないタイプだって思うと、
ホッとした。
あ、、自分の方が、できる側だ。よかった。
みたいな。
自分より気遣い上手な人が側にいた時のソワソワ感は、
なんでだろう。
自分が気遣い下手だと思われそうだから?
自分より優れた人がいて悔しかったから?
自分の気遣いが小さく見えたから?
どれも違う。
自分が、その人と比べると、
できない側にいる
っていうことが苦しかった。
なんで自分ができない側になった
と思った時、
自分に対してだけ、ソワソワしたんだろう。
そのソワソワ感は、不安のソワソワだった。
できない側にいることが、不安だった。
ということは、できる側にいれば、安心。
確かに、安心していた。
なんで、安心したんだろう?
少しは、有利な気ができる
からだ。
有利な気がするって、なんで魅力だったんだろう?
それは多分、分かりやすい魅力だったから。
自分にとって、分かりやすくて。
コレがあれば、有利だ。
だから、ちょっと、安心。
でも、それがない状態の私は、なんかやばいかもしれない…?
不安かも…ソワソワ…
そんな感じだったのかもしれない。
あの頃の私は、確かに
分かりやすい魅力や、分かりやすいデメリット、
そういうのを、よく見ていた。
