私って、大丈夫?と、よく思っていた。
何か目標があって、達成できたときは、
私、これで大丈夫?みたいな希望で、
何かが人よりできてないって感じたときは、
私、こんなこともできなくて、大丈夫?ってすごく不安になった。
どんな状態になっても、
「大丈夫」って、
自分が自分に、自信を持って言えたことはなかった。
なんでだろう。
もっと、もっと
っていう気持ちがあった。
もっと、可愛くなりたい。
もっと、充実した人生にしたい。
もっと、仕事で成果を出したい。
もっとやれる、もっとできる。
もっと、っていう気持ちが、
自分を行動させたし、自分を前向きにさせた。
けれど、
あの頃のもっと、には、合格ラインがなかった。
自分には無理かもってわかると、すごく焦るのに、
目標を達成しても、喜びを感じたことがなかった。
そのラインがないことすらも、喜べない感覚も、
意欲だと思ってたし、向上心だと思っていた。
私のもっと、という気持ちは、
ないをあるにして、
できないをできるにして、
そうやって、オセロみたいにひっくり返していく感じだった。
でも、じゃあもしあの時そのオセロゲーム状態に気付けたら、
やめた!ってできたかな?
そんなにもっと、を求めなくていいんだよ
みたいなことを言われただけで、無限プレイな感じから抜け出せたかな?
って考えてみると、できなかったと思う。
だって、オセロをひっくり返せると、
自分の価値が上がった気がしていたから。
どんどんオセロをひっくり返していけば、
私、大丈夫
って思えるようになるって、思っていたわけじゃなかったけど、
それでも、
ひっくり返せた時のホッとした感じ、
あれこそが自信で、
自己肯定感ってやつだって思っていたと思う。
もし、
もっと、を求めなくていいんだよ
の言葉を頑張って信じて、頑張ることをやめられたところで、
これで大丈夫?は消えなかったと思う。
これで私は大丈夫かどうか?って、
この競争を頑張る私なら、大丈夫?
この言葉を信じてる私なら、大丈夫?
このレベルの可愛さの私は、大丈夫?
このレベルの仕事っぷりの私は、大丈夫?
みたいに、
自分が大丈夫かどうかの判断する依存先を
変えていただけだから。
妊娠して、家庭に入った頃だった。
何か、自分の中の生きづらさを感じていて、
その正体を突き止めたくなった。
その時はわかってなかったけど、
家庭に入ったことで、競争や比較から外れてしまい、
不安だったんだと思う。
私はいろんな人の本やブログを読んだ。
でも、一つ読んですぐ解決ってはならなくて。
ブログの世界で、なるほどってなって、
現実の世界に戻ると、あれ?こういう時はどうしたらいいの?
ってなっていた。
あの時の口癖は、
で?どうしたらいいわけ?
だった。
具体的な行動例と、具体的な発言例が欲しくて欲しくて。
ある人のブログを読み漁ってた。
その人が、こういう考え方はダメだよね
って、自分の考え方まんまが例で出てくると、
まじで!?って焦ったし、
その人がこういう状態はOKって書いてると、
すごく安心できた。
私は、その時、
ブログでその人の考え方にハマってるんだと思ってた。
でも、きっと違う。
私はあの頃、誰かと比べたりすることはなかった。
でもそこで確認していた、
私大丈夫?
を、
その人のブログでやっていたんだよね。
だから、どんなに心の知識が溜まっても、
現実世界で、
え?この場合はどうすればいいの?
ってなっちゃう。
どうすればいいか書いてないと、自分も止まってしまう。
その人本人に聞きたくなる。
私はあの頃、
このブログを愛読し、このブログ内容を熟知し、
実践できている私は、大丈夫?
ってなっていた。
自分が大丈夫かどうか?を、
ある人の考え方
に委ねていた。
結局、その人のブログは
どんなに読んでも、自分の中の生きにくい気持ちは消えなかった。
むしろ、こんなに読んでるのに、
まだ理解しきれない私、大丈夫?
になって、焦っていく羽目になった。
私は大丈夫か
を、何かと比べながら見ているうちは、こうなってしまうのだ。
